開催報告 【1/16(水)】みんなに会いたい!浪江町


町別交流懇談会                                             浪江町民交流会  ~ みんなに会いたい!浪江町 ~ 開催報告     ※昨年9月開催の「なみえの“しゃべり場”」に続く第2回目です。

  • 場所:かながわ県民センター2階ホール
  • 主催:かながわ東日本大震災県内避難者支援ネットワーク
  • 協力:かながわ「福島応援」プロジェクト(kfop)
  • 出席:避難者45名、福島県職員2名、浪江町職員1名、                    主催・ボランティア16名


★— 開会前 —★                                          前回参加者の方には、前回の集合写真をプレゼント。
受付では既に再開に喜ぶ声が聞こえました。
開場は、同じ地域の方が懇談できるよう、6つの地域のテーブルを用意しました。
昨年11月の浪江町の様子がスクリーンに流れます(「まちづくりNPO新町なみえ」提供)。

★— はじまり —★
今回からの司会は、富岡町からの避難者の坂本さんが担われます。自己紹介を含むご挨拶をしました。
主催者挨拶では、「もうすぐ2年の節目を前に、今年度の残りの交流会事業は、支援者が思う内容で運営するのではなく、避難者の皆さんが望む内容で、皆さんが主体的に進めていって欲しい」との話がありました。

★— 浪江町の現状 —★
福島県の職員の方から次のお話がありました。

  • 浪江町の区域再編について状況の説明(町の案が国に提示され回答待ちの状態) 浪江町避難指示区域見直し(2013年1月25日)
  • 福島県のモデル事業として、山形県、千葉県に職員各3名を常駐する事となった
  • 同じ町民が連絡を取り合えるよう、連絡帳を作成中。3月中に発行する予定
  • 70回を超える交流会を開催。今後も開催をする中で皆さんの声を聞かせて頂く
  • この交流会でのご意見は持ち帰り、お応えできるようにします

開始前に流れていた映像を改めて上映。浪江町出身の原田さんが解説をしました。

★— 交流・懇談 —★
皆さんが自由に歓談。ボランティアが皆さんのお話をメモして模造紙に貼ります。
各テーブルでの歓談を終えたのち、3名の方が会場の皆さんに向けお話をされました。
司会者が神奈川県内の地名を読み上げ、該当する人が立ち、お互いに顔を確認し合いました。その都度「繋がっていきましょうね。宜しければ後ほど連絡先を交換して下さいね」とお声かけしました。

★— 今後の取り組み —★
「第2回ふるさとコミュニティinかながわ」を3月9日(土)、「波止場会館」にて開催します。開催の概要と、この交流会を楽しんで頂きたいとのお話をさせて頂きました。
司会の坂本さんから次の呼びかけがありました。

  • ふるさとコミュニティinかながわを一緒に企画運営しませんか?
  • 今後の交流会開催をお手伝い下さる方、閉会後にお声かけ下さい。
  • 今年度の全ての弁護士よろず相談会併設のサロンに出席予定です。いらして下さい。

 

~ 開催を終えて 声・メッセージ ~

 ★— 懇談中のメモ(一部紹介) —★

和解交渉に時間がかかる。理不尽なこともある。賠償交渉も人によって違う。
早く安定した生活に戻りたい。賠償を早く決めてほしい!!
住所を移したり結婚したりすると補償が無くなる。移さないと学校や車の手続きが面倒。
5~10年経ったら子供も就職するから、帰れないかも…
この先どこに住むのか見通しがたたないのが不安。
住み替えができるようにしてほしい。
持ち家から市営住宅は苦しい。狭い。辛い。厳しい。
町に戻らないという権利はないのですか?
避難区域再編は早すぎる。25年たった現在でもチェルノブイリの人々は避難しています。
区域の線引きを線量で決めるのはオカシイ。生活環境を考慮して線引きすべき。
一時帰宅したら、家の中が何ともいえない匂いがする。
除染後に住めるのか?家が壊れている。復活出来るのか?
何のための除染?誰のための除染?
除染後の保管が心配。生活の計画が立たない。
早く結論を出して。もう年だから。とにかく早く決めてほしいです。
現場の声が届く方法を、もっと知る方法を考えないといけない。
誰がどこにいるのかわからないので、何とか会いたいので連絡取れる方法を考えて下さい。
やむをえないのだが、自主的に避難したんでしょ?と言われる。
現実の厳しさをいかに知らないか、強く感じた。

★— 会場でのある男性の声 —★

5年帰れない。もっと先まで帰還出来ない可能性もある。
避難住宅は3年まで。4年後の生活基盤を決めがたい状況となっている。
若い世代や子供がいる家庭は生活基盤が決まらなければ将来への選択が大変難しい。
避難住居が世帯ごとであるため、同居親子が別々に暮らし、親族が以前の様に一同に集まる事ができないどころか、孫が泊まる事も出来ない。家族や親族の絆にも影響を及ぼしている。
数年先に除染しても農業を再開する事は無理との状況で苦悩している。
生活基盤の住居の事を考えなければならない。残してきた土地利用の事を考えなければない。
精神的賠償に比べ財物賠償が進んでいないが、この解決を抜きに住居や土地の問題は前進しない。財物は個々人の私有財産。この賠償を進めるには同じ地域に土地を持つ者が団結する必要もある。
町、地域などの大きな単位で繋がり、解決に向けて動かなければならない。
少しでも前に進むために、繋がれるメンバーだけでも集まって話し合いたい。

 

 ★— 富岡町からの避難者、坂本建さんからのメッセージ —★

これまで、かながわ東日本大震災県内避難者支援ネットワークが多大なるご尽力で推進して下さった交流会関係の事業を避難者である私が引き継ぎます。
「復興」と言う名の経済のためではなく、子供達が健康に暮らせる故郷を新生するために私達が繋がりましょう!

 

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