町別交流懇談会 双葉町民交流会 ~ みんなに会いたい!双葉町 ~ 開催報告
※昨年10月8日開催の「双葉民懇親交流会」に続く第2回目です。
- 場所:かながわ県民センター2階ホール
- 主催:かながわ東日本大震災県内避難者支援ネットワーク
- 協力:かながわ「福島応援」プロジェクト(kfop)
- 出席:避難者15名、福島県職員2名、双葉町副町長
開場は、同じ地域の方が懇談できるよう、地域を2つのテーブルに分けました。
開会前と懇談の間は、震災前の双葉町(盆踊り、太鼓演奏、体育祭、バラ園)と騎西高校避難所の映像が流れました。
★— 司会・主催挨拶 —★
・司会挨拶(坂本さん:富岡町からの避難者)
・主催挨拶(高坂さん:かながわ東日本大震災県内避難者支援ネットワーク)
「交流会で繋がりを戻し、見つけ、強めて頂きたい。
今後の交流会が、避難者の皆さんが望む内容で進められる事を望んでいます。」
・副町長さんのご挨拶
「主催の皆さま、坂本さんのおかげでこの様な会を開いて頂いたことに大変感謝しています。県外に避難されている方は個人になりがちで、1人で悩んでしまう。交流会がある事が非常にありがたい。今日、ここに集った皆さんは、ゆったりと懇談し、ぜひ同じ町民として繋がりを持って欲しいと思っています。」
★— 双葉町の現状 —★
(1) 騎西高校の写真(坂本さん撮影)
双葉農園の動画と、前日、騎西高校避難所を訪れた際の写真を紹介。
・今も仮設の更衣室があること
・ボランティアの皆さんからのチラシが掲示されている様子
・教室の一部屋がサロンになっていること
(段ボールのついたて、テーブル、床に畳、薄いカーテン)
・残らざるを得ない事情・状況にある方たちであること
などをお話されました。
副町長さんから
「避難所内には町の職員がおります。暮らしている方たちは自然にお互いを支え、助け合い、隣人に気をかけて見守ができる側面もあります」とのお話がありました。役場の支所がある意味がここにもあることを感じました。
(2) 区域見直し案の説明(副町長さん)
住民説明会の資料をお持ち下さって説明をされました。
町は国に、
・放射線量の数値で町を分断せず
・原発事故がまだ収束していないことを認め
・安全性を考慮し
・町の全域を帰還困難区域とするよう強く求めていました。
国のグランドデザイン(概ね10年後に向けた避難地域の復興)
避難指示区域及び警戒区域の見直し案
※ほんの一部の避難指示解除準備区域は帰還困難区域に囲まれ、土地に入る事ができない状況です。
★— 交流・懇談 —★
県職員さん、副町長さんが各テーブルでともに歓談しました。
今まで腰が上がらず、交流会に初めていらした方は、同郷の方とお話をし、何度か涙をぬぐっていました。同じテーブルの方に「今度~で集まるからいらっしゃい」「ちぎり絵を定期的に楽しんでいる会もあるのよ」と誘われていました。
歓談を終えた後のお一人の声をご紹介します。
「みんなの意見をまとめて欲しい。一緒に運動会を楽しみ、みな双葉を愛している同じ町民。区域編成は不公平感を招く。区域、東電社員、立場違っても同じ双葉を愛す、同じ被災者。溝が悲しい。」
★— 今後の取り組み —★
「第2回ふるさとコミュニティinかながわ」3月9日(土)「波止場会館」にて開催。
司会の坂本さんから次の呼びかけがありました。
・ふるさとコミュニティinかながわを一緒に企画運営しませんか?
・今後の交流会開催をお手伝い下さる方、閉会後にお声かけ下さい。
・今年度の全ての弁護士よろず相談会併設のサロンに出席予定です。いらして下さい。
★— 最後に… —★
副町長さんがお話をされました。
「部屋に入る時と今、皆さんの表情が違う事を実感しています。
東電の中に双葉の人は多くいます。原発の事故を必死にくい止めようとした双葉の町民がいます。その事は忘れてはいけないのだと改めて思いました。この部屋を出る時、来てよかったとの想いでまた表情が違うはずです。同じ町民同士、これからも皆さんで集って欲しい。今日、この様な大切な場を設けて下さった事に心より感謝します。」
~ 開催を終えて 声・メッセージ ~
★— 懇談中のメモ(一部紹介) —★
◎除染・賠償・区域編成
生きるために除染よりも賠償などを厚く
完全な除染は無理。まだらで除染しても効果ない
土地を買える人はまだよいが、買えない人はずっと借り暮らし
取扱いに差別を感じる。避難解除準備区域と帰還困難区域。町が分断される。
◎住居
一時的な避難所として住まいだったが、長期になり段々不便さが気になってきた。
「若い人は県外に住み、年配の人は仮設」というパターンがある。
いわき市に家を建てた。入院中の親が転院できる空きがない。どの病院もいっぱい。
いわき市で仮の町で生活と言われても地に足がつかない。落ち着かない。
◎帰還
中間貯蔵施設の場所を説明会ではっきり言わない。皆怒っている。
6年は70歳。更に環境整備で4~5年かかれば帰るのは無理。家も老朽化。
年代により帰還への気持ちが違う。幼児/中学生を持つ親、定年後の夫婦など各々。
◎仕事
いわきに戻り仕事を再開させたい。住める所があれば早く戻りたい。
新しい土地に移って農業を再開した人もいる。
都会の警備員は、やり方が違う。車も多くて怖い。
避難先で仕事の貼り合いがなくなり、体調も悪くなった。
仕事がないと起きて食べて散歩してTV見る単調な生活。頭と体を使わない。
◎交流
千葉では催しや交流会の情報が届かない(千葉から来場)
来るのを躊躇した。来てよかった。住所交換して連絡とり合えるようにしよう。
車のナンバーで福島の方ね!と交流が始まり有難い。
知った顔に会えただけでうれしい! 昔の知人と会ってみたい。
SDCマミーズのようなサロンが近所にもあったら行きたい。
国の言葉で話せる所がこのような集会しかなかったので孤独な感じがした
◎現在の生活
住所変更をしたので選挙権がなくなってしまった。
娘さんと2人暮らし。日中外になかなか出られない。
待ち合わせしたくても、出先の場所がお互いわからない。
電車では決まった場所しか行かない。2年近く経っているが東海道線って何ですか?
やっと団地に生活、慣れてきた。ウォーキングしたりしている。
子供が小さければ親同士のつながりができるが、中学生は難しい。
まだまだ食事もちゃんとのどを通らない。趣味にも気持ちが進まない。
ストレスでやせた。都会暮らしは大変。
自分が今までの立場の仕事(役割)を失って、張り合いがなくなった。
年配の人は孤立しがち(自分の子どもでも自由に腹を割って話せないこともある)
75歳以上の方が多くて、動かなくなっている。
2年間運転していない。横浜では怖くて運転できない(道が狭いなど)。
情報を共有し活用できるようなシステムが欲しい→自力でパソコン習得
現実はわかる。自分を保てる人もいればウツになり命を絶つ人もいた
「何かあったら声かけて下さい」違和感。メンタルのフォローされていない。
◎震災当時のこと
震災の時、この世の終わりかと思った。
福島県内の避難所はいっぱいで入れず、友人のところを転々とした。
各々家族や親せきのつてを頼って避難した。
知人を待ったりして避難が遅れた。途中で別れた人はどうしたか、大丈夫かと心配。
当初、ガス欠の放置車が多数あり、未だに放置状態。
運転中「乗せて」という方が道々に大勢いた。無理。すまない。申し訳ない。
埼玉に避難する際に車を東公園へ置いて行けとの指示。公園の場所がわからない。混乱状態だった
11日は夜になって暗かったので出られなかった。12日の朝を待って横浜に避難した。
橋が落ち、道路が崩れていた。夜に車で避難した人が橋から落ちた。
車の外でタイベックス、マスクの人が何を言っているのかわからない。窓を開けたら閉めろと激しく怒られた。
爆発した時に残っていた人は、黒い煙を見て、変な臭いがしたと言っていた。
相馬へ向かった→大堀へ行け→爆発したもっと山へ行け→馬事公苑へ行け→もっと離れろ
山へ逃げろと言われ、たどり着いた避難場所は防寒服も毛布もなくとても寒かった。
川俣小は避難者が多く、廊下にはみ出てそれでも体育館にも入れなかった。外は雪。
とりあえずの避難所になった集会所にはトイレットペーパーすらなかった。
避難所は火がなく米は炊けない。ラーメンの湯も沸かせない。ずっとパンだけ。
母の薬をもらいに福井大に行ったが、スクリーニングが先と病院に入れなかった。
ペットにバケツ2杯の水、全部のエサを出して家を出た。2~3日で帰れると思った。
ボランティアが犬を保護。2か月生き延びたがガリガリだった。助けられた命。
何度か転居し、元気だった母が体調を崩して亡くなった。
いわきナンバーで車体やプレートに傷つけられた。横浜ナンバーに変更した
放射能を持ってきただろうと言われた。
郡山に転校して、被爆者と言われた。
避難先登録で神奈川と双葉の両方から住民税、車税の請求が来た。手違いと認定。
来たばかりの時はお国言葉もわかってもらえず話たくなくなった。
◎一時帰宅
外で飼っていたはずの犬が、茶の間に首輪と骨だけになって残っていた。
お墓や灯篭も倒れた。今もそのまま。
着の身着のまま、家が壊れたまま避難。泥棒に入られていた。
古い家を土地とともに相続後、同じ敷地に新築。古い家の記録がなくなっていた。
2度しか帰っていない。家の中は散らかったまま。帰宅すること自体が大変。
一時帰宅すると野生化した牛が多い。体が大きい野生動物は怖い。ふん害もひどい。
前回帰宅時は42μSv/h。12μSv/hですぐに帰れと言われた。
タイベックスに手袋数枚を重ねて着用で、大急ぎでごみを処理。
濡れたものを触ると気持ち悪く手袋1枚脱ぎ捨てる。
新聞で見たイノブタ。帰った時に道で死んでいて驚いた。(ずっと死体がそのまま)
忌避剤を置いてきたが、臭くて家の中に入れなかった。
◎現在の心境
今でも震災のことは夢のように思える。大事なのは今日、と、3.11以降わかりました
井戸川元町長は町民の健康を守る出来るだけの事した。再任して欲しかった。
議員さんの働きに関して疑問はある(もっと現地にいても…)
ネガティブにならない様に。現実は立ち向かってもすぐに解決できないこともある
心無い言葉に傷つく。強くならねば。志半ばで亡くなった方のためにも。
学校がなくなったのが残念で…
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