町別交流懇談会 富岡町民交流会 ~ みんなに会いたい!富岡町 ~ 開催報告
※昨年9月10日開催の「富岡町民懇親交流会」に続く第2回目です。
- 場所:かながわ県民センター2階ホール
- 主催:かながわ東日本大震災県内避難者支援ネットワーク
- 協力:かながわ「福島応援」プロジェクト(kfop)
- 出席:避難者20名、福島県職員2名、富岡町職員5名、
主催・ボランティア19名
大変寒く雨が降り、電車は運転停止や遅れがありました。
開場は、同じ地域の方が懇談できるよう、6つの地域のテーブルを用意しました。
昨年12月の富岡町の様子がスクリーンに流れました。
★— 司会・主催挨拶 —★
まずは、司会の富岡町からの避難者の坂本さんが自己紹介を含むご挨拶をしました。
主催者挨拶では、「もうすぐ2年の節目を前に、今年度の残りの交流会事業は、支援者が思う内容で運営するのではなく、避難者の皆さんが望む内容で、皆さんが主体的に進めていって欲しい」との話がありました。
開始前に流れていた映像を改めて上映。司会の坂本さんが解説をしました。
★— 町職員さまのお話と富岡町の状況 —★
「警戒区域という用語だけでも聞きなれず、世間では忘れ去られている感がある。
この約2年間は、多少の動きはあっても私たちにとってはほとんど2年間状況は変わらない。何が起きているかわからないまま帰れと言われても判断はできません。
町民の皆さんのご意見を聞きつつ、納得がいく状況になるよう交渉を続けています。」
とのお話から始まりました。
昨年の年末に決まった事は、
・帰還しないのではなく帰還できないということ
・現在の空間線量により3つの区域に再編成すること
でした。
経 緯: 平成25年 年頭のご挨拶(町長)
区域編成: 避難区域の見直しについて(H24.12.7更新)
復旧状況: 震災復興作業の進捗状況について(平成24年12月末現在)
空間線量: 町内の放射線量(平成24年11月測定分)
※3区域の定義
・帰還困難区域 50mSV以上/年
・居住制限区域 20~50mSV未満/年
・避難指示解除準備区域 20mSV未満/年
★— 交流・懇談 —★
富岡町から来て下さった5人の職員さんが各テーブルでともに歓談しました。
これまでの雰囲気とは一変し皆さんが率直に思っていること、困っている事をお話さ
れていました。
町の職員さんひとりひとりが、同じ被災者として皆さんのお話に耳を傾け、現状や考えをお話されていました。
各テーブルでの歓談を終えたのち、2名の方が会場の皆さんに向けお話をされました。
※この後、場所を変えての懇談もありました。
★— 今後の取り組み —★
「第2回ふるさとコミュニティinかながわ」を3月9日(土)、「波止場会館」にて開催します。開催の概要と、この交流会を楽しんで頂きたいとのお話をさせて頂きました。
司会の坂本さんから次の呼びかけがありました。
- ふるさとコミュニティinかながわを一緒に企画運営しませんか?
- 今後の交流会開催をお手伝い下さる方、閉会後にお声かけ下さい。
- 今年度の全ての弁護士よろず相談会併設のサロンに出席予定です。いらして下さい。
★— 別室での懇談会 —★
当日のボランティアから質問があり、町役場の方が真摯にお答え下さいました。
一部をご紹介します。
質問:
区域編成に対し私たちはどう認識し、町民はどうしたら良いとお考えですか?
回答:
ICRP基準では 1mSv/年、0.114μSv/時。計算式により0.23μSv/時。
国の帰還基準は20mSv/年、3.8μSv/時。
関東のある地域で0.03μSv/時だとすると、約10倍で帰還せよという意味です。
区域名称や数値の意味や単位は聞きなれない、理解しがたい事でありましょうが、関心を持って頂けたらと思います。
線量が下がらなければ、帰還する人/しない人が出ます。
人がなくては仕事もない、産業誘致も出来ません。
むしろ早急に何年帰還出来ないかを公に示して頂ければと思う。
町民全員の認識をひとつにし、未来の設計をしたい。
町民は結束していかねばならないと考えています。
質問:
関東など外部の支援者に何を求めますか?
解答:
支援者の皆様には深く感謝しています。お礼の言葉もありません。
避難者は広範囲に避難していてそれぞれの地域で支援を受けています。
避難者同士、或いは各地域の支援情報が町の広報で把握し切れていません。
ですので、この地区ではこの様な支援をしていますとか、こういう団体がありますなどの情報を富岡町の広報にお知らせ頂ければ町としても各町民にお知らせ出来ますし、また皆様の活動を宣伝する事もできるので、是非情報をお寄せください。
~ 開催を終えて 声・メッセージ ~
★— 懇談中のメモ(一部紹介) —★
◎ 帰還
1F、2Fの安全性の確保が無ければ帰れない。子どもは余計不安。
1F、2Fは汚染水を出し続け、処理問題を解決出来ないのに帰れると思えない。
第一原発からまだ放射能が漏れているのではないかと考えると帰宅するのは怖い。
第二原発は再稼働の準備に入った。不安が増大する。
町へ帰りたい人、帰りたくない人もいる。選択肢を増やしたい。
本当に5年したら帰れるのか?子どもや若い人達は5年くらいでは帰れないと思う。
除染が済んだと言っても子供達(15歳以下)は連れていけない。
中学生の女の子がいる。5年じゃ帰れないほどの汚染とはいえ除染も必要(自然減だけを待つともっと時間がかかる)。
就職先もないのにどうやって帰るのか?
帰宅すると言ってもインフラが止まっている所にどうやって帰るのか?
中間貯蔵施設も先が見えない。施設が出来ればその為の道路交通安全性など問題はもっと出る。
◎ 一時帰宅
屋内の灯油はもう使用しないでと言われた。
帰宅代(ガソリン・宿泊・高速代)の負担が大きすぎる。
自由な帰宅より前に家の片付けに必要な電気・水道・ゴミの処理場所を整えて欲しい。
高速道路利用料の無料も含め維持を希望する。
◎ 農作物
農作物の安全検査を他県でも実施して欲しい(福島県産) 。
福島産の米が安全なら食べたい。
線量計や食品検査器の支援を各行政がして欲しい。
他県にも徹底的な検査器を置く支援も必要ではないか(福島産のもの) 。
◎ お墓
納骨に関しては町として一致した行動をとって欲しい(個人差が出ないよう) 。
お墓は菩提寺の住職同行なら納骨可能。墓石は汚染されていると思う。
神奈川県に避難していた母が亡くなった。故郷のお墓に納骨したいが補助制度は?
◎ 除染
除染は線量が高い場所は効果が低い。除染してもすぐに線量が上がる。
除染の効果がなかなか出てこない。放射能の拡散になってしまう事もある。
道路も表面を全部削らないと、除染じゃなく拡散するだけ。
線量モニタリングが除染したはずの所が上がっている。動体(風・雨)を検出している。
一度除染した学校の線量が上がってきているのは山から来ているのではないか。
自宅の屋内の除染が自己負担、個人では限度がある。行政が責任を持って行って欲しい。
100万で家の中まで除染は出来ない。個別に対応している。計画書、立ち合い印。
除染は隣り合った数軒の家は全戸でしないと、1軒が断ると回りの家も意味がない。
手探りの除染。やってみないとわからない→個々の状態で異なる→対応。全てが除染
しないと下がらない。
除染にかける費用がムダではないか!その分を補償に回してもらった方が良い。
除染と賠償は一体的に扱うべきだ切り離せない事項。
除染で敷地内に入る立ち合いたい、一緒に線量を知りたい。
森林は除染対象外だが、森林火災が起きれば再汚染。
除染とインフラ整備に見合うマンパワーはどう調達するつもりなのか?
除染で家の木を勝手に切られたくない。
◎ 線量・立ち合い
いろいろな調査のため自宅敷地に勝手に入っていくことに疑問。情報が届かない。
環境省郡山から除染の案内が入ってきているが一時帰宅の際に立ち合いたい。
13日の東電説明会で電話をもらえれば立ち合いOK。以外は了承したものとみなす。
不在の自宅に東北電力から電気使用再開に関するお知らせがポストに入っていた。
◎ 避難生活
仮設で生活している人は近所の様子がわかる。避難生活をしていると地元の様子がわからないので不安です。
仮設の方が知り合いや同じ様な立場の人が住んでいるので良い。
借り上げ制度は1年ずつではなく5年とか長く設定して。(生活の見通しが立たない)
生活が便利になったでしょと仮設の人に言われるとつらい(余裕があるとも言われる) 。
集会所に避難者が集まっていたが、だんだん集まらなくなっている。
毎日なるべく歩くようにしている。3000~10000歩
県外避難の人々とのコミュニケーションをもっと知りたい。
交流会に来て少しずつ知り合いが増えた
最初は知り合いもできず、犬だけが話し相手だった。
ペットを連れて逃げたので、当時、避難所に入れず(1週間)、家探しも難しかった。
家に対する火災保険をかけ続けなければならないのは納得できない。
車で出かけるとこのまま家に帰れると錯覚する(財布一つで出てきたのに) 。
年金ない。生活の見通しがたたない。賠償だけあてにできない。いつまでも貰うわけ
にいかない。どうしたらいいのか。
◎ その他
富岡の人は賠償金をもらって早く町に帰ればいいのにと東京で言われて傷ついた。
100年に1度の地震集中時期。収まるまで心配。
町がなくなれば個人戦になる。町をなくしてはいけない。
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